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学生達も学校が始まり、皆帰り、一方4月からは婦人会員の方々も避難先から自宅に帰って来られる方も多く、再建のかたわらセンターにも来て手助けしてくれるようになりました。
5月からは抽選に当たった人達は他地区の仮設住宅へ入居するため、センターから出ていかれ別れを惜しみながら新しい生活に向かわれました。
梅雨の頃でも良い天気の日には、寝具、毛布なども屋上に干すようにし、共同場所(便所、ロビー、通路等)の清掃美化も交替で行い、物資の分配も概ね自分達でしてもらい、私は出来るだけ皆の話を聞き、相談にのってあげ、役所への交渉役として努めました。こうして8月25日まで、一人の事故もなく全て完了しました。
現在は、あれから1年半、建物の外部は修理も済み、震災前と同じように、ふれあい会、あじさい給食、各団体の集会に、自彊、ストレッチ、詩吟、民謡、謡曲、カラオケ等、多方面の活動を行っております。
「情けは人の為ならず。」私宅も全壊しましたが、お蔭で元気に新居から通っています

 

やっぱり地震は怖かった!

前 田 悟
(神戸市西区)

 

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ことわざに、「地震」「雷」「火事」「親父」というのがある。これは、世の中の怖いものを順番に並べたものだという。
昔の父親は相当権威があった。そんな時代でさえ、怖いものの筆頭に挙げられたのが地震である。それほど、みんなに怖がられた地震であったのに、神戸という恵まれた町に住む私にとっては少しも怖いものとは考えていなかったように思う。地震といえば、関東や東北、北海道など遠い所のことだと思い込んでいた。神戸の町の下に断層があったということも知らなかった。
もちろん、私も過去に何回かの地震を体験している。その時々に、「大きな地震やったな・・・」「すごく怖かったな・・・」など、ビックリすることもあった。しかし、地震が終われば何の被害もなく、全てが元の姿のまま変わっていない。こんな認識しかなかった私は、今度の地震についても、どうせ終われば元どおりであったろうと思い、床の中でそのまま座っていた。段々と横揺れが強くなり途中からは、家全体が上の方からねじり切られてしまうのではないかと思った。それでもまだ外へ出ようとはせず、じっと座ったままでいた。別に大胆でもなんでもない。心の中では、どうせ終われば元通りだろうという気持ちがあった。 後で家の中を見て廻ってビックリ、部屋の中には色々な物が倒れたり、壊れたり散乱し、脚の踏み場もない状態、屋外では屋根瓦が落下、大変な姿になっていた。これを見たときに初めて地震の恐ろしさが判った。
ヤッパリ、昔のことわざは間違っていなかった。これからは、もっと率直に怖いものは怖いと考え、対処していかなければならないということがよく判った。

 

 

 

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